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こんにちは

​山田とびい、です。

外資系自動車部品メーカーでは、ニックネーム(イングリッシュネーム)で

呼び合います。なので、私は、とびい(Tobby)。

戸籍名の智之も父から授かった、意味のあるありがたい名前で大変好きですが、ひらがなで書く「とびい」の名前は特にお気に入りです。トビーではなく、とびい。まるくて柔らかい感じが好き。

​年上、年下、男女関係なく、みんなから「とびい~」「とびいさん~」と声を掛けていただけたら嬉しいです。

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About Me.

​山田家のヒストリー

かつて、山田家は荒子村(現名古屋市中川区)の農家でした。荒子は、かつては「あらき」と呼ばれ、荒田圃(開墾してまもない田)のことを意味します。江戸時代初期においては現在の熱田区・中川区を走る国道一号線よりも南は海で、江戸時代末期にかけて、国道23号あたりまで干拓がすすみます。山田家の菩提寺は中川運河篠原橋近くの安養寺(真宗大谷派寺院)。曾祖父栄太郎は荒子村の百姓の長男でしたが、農家が肌に合わず、家を継がずに、明治30年代、熱田町(現熱田区六番町あたり)で下駄屋を創業、その後中村区太閤に移転。祖父聡明は昭和初期、逓信省に入省、戦後、蟹江電話局長になった経緯で蟹江町に移住。父靖宣は昭和40年電電公社に入社。母言子は昭和44年に電電公社に入社。社内結婚の末、昭和49年、この世に生を授けて頂いたのが私です。

​とびいのヒストリー

Education

1974ー1987 ​幼少時代

町立蟹江南保育所(1978⁻1981)

町立蟹江小学校(1981⁻1987)

 

生まれは名古屋市だが、生粋の蟹江っ子。蟹江も津島も飛島も大好き。当時は津島に畑がありまして、野菜作りを多少手伝うけど、すぐ飽きて隣の田んぼでザリガニを捕りに夢中になる私。鍋田干拓でハゼやオコゼが釣れた時代。お祭りで買ったひよこが見事ニワトリに成長し、庭にワトリ小屋を作った。うさぎのチャーミーもいたし、ミニコリーのランもいた。今、私が盆栽好きなのは、庭に大小100鉢ほどあった祖父の盆栽好きの影響かも。一方でモータースポーツが好きなのは父の影響。F2やシビックワンメイク、よく鈴鹿サーキットに連れていかれた。サーキットに行くと胸が高鳴るのは今も昔も変わっていない。

​1987-1999 学生時代

​私立南山中学校男子部(1987⁻1990)

私立南山高等学校男子(1990⁻1993)

私立南山大学法学部(1993⁻1997)

私立南山大学院法学研究科(1997⁻1999)

 

私立南山中学校、高校、大学、大学院と12年間を昭和区杁中(いりなか)界隈で過ごす。部活はバスケットとラグビーを少々。ロードレースも出場した。とにかく中高時代は、ルアーフィッシングのことしか頭になかった。自転車で戸田川、大江川に遠征。地下鉄で猫ヶ洞池にもよく通った。金山釣具店には大変お世話になった。琵琶湖にも年に4-5回行った。将来は南米でフィッシングガイドになるのが夢だった。大学では司法試験をめざして専門学校に通うも、遊ぶのに忙しくて挫折。スノーボードは年間30回行った。ウェイクボードにもどっぷりハマってしまった。マリンスポーツは一人ではできない。木曽川、長良川、浜名湖でいろいろな人に本当にお世話になった。大学院では哲学者メスナーを研究をした。人とは何か、幸せとは何か。今の私があるのは、アメリカのシンクタンに詳しい、上野真紀子さんや、市村浩一郎さん(現衆議院議員)からの学びの場があったから。一方で、働くということを教えてくたのは、私を日雇いで働かせてくれた山口公社長だ。いい大人衆に育てていただいた12年間だった。初めての海外旅行は1998年だった。父と2人で中国を旅行した。上海、北京、洛陽、西安、鉄道の旅だった。この経験が後の人生に繋がって行くだけども、この時、そんなことは知る由もなかった。

​Career

1999ー2011 ​第一世代

有限会社まめや本店/取締役(1998ー2002)

株式会社十六銀行港支店(1999⁻1999)

株式会社津田会計(2002⁻2006)

​株式会社フーズM&Aソリューションズ/社長(2006ー2008)

​株式会社IPO(2007ー2008)

株式会社エヌ・ティ・ビー/監査役(2007ー2009)

株式会社広越/取締役(2008ー2009)

株式会社B.Crewフードサービス/取締役(2009ー2010)

株式会社ゼロスポーツ/経営企画室長(2010ー2011)

コンサルタント、ターンアラウンド経営者として、全国行脚、自身としても2度の起業を経験

株式会社ゼロスポーツ入社、経営企画室長として起業家中島徳至氏さんの下で日本のEV事業の発展に寄与。日本郵政から1000台ものEV車受注を獲得するも、イノベーター/ベンチャー企業ならではともいえる特殊な企業倒産を経験。

2011ー2024 ​第二世代

Minth Group Limited(0425.Hk,本社台北)/創業会長秘書(2011~)

Minth Automotive Parts(India)Private Limited/取締役(2012ー2014)

Minth Automobile Part(Thailand)Co., Ltd./取締役(2013ー2015)

CFファミリーオフィス/マネージングディレクター(2014~)

​浙江华章文旅集团有限公司/原木・材木バイヤー​(2015~)

​割烹旅館若松 /第10代当主(​2016ー2020)

Minth Japan株式会社/代表取締役社長(2018~)

淳安電子股份有限公司(6283.TW,本社台北)/取締役(2019~)

シャープFITオートモーディブテクノロジー.KK/社長(2020ー2022)

2011、ゼロスポーツと親交の深かった、MINTH GROUPの創業会長秘書に就任、引き続き世界のEVの発展に寄与

Community involvement/Civic engagement

​名古屋市東山元町2号線樹木介護会/会長(2024年~

​著書

​キンドルアンリミテッドご加入の方は無料で読むことができます。

​金融/ファミリーオフィス

タイトル 日本人のためのファミリーオフィス論

著者   山田とびい

発行   2024年10月

​出版   キンドル出版

​政治/公共政策/地政学

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タイトル 私なら名古屋市でモビリティシティを目指す

著者   山田とびい

発行   2024年2月

​出版   キンドル出版

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